「「ひらきこもり」のすすめ」というタイトルがなんとなく目を引いたので、
ちょっと読んで買ってみたんですが、私にとっては刺激的な内容でした。
そうか。今のインターネットってこういう人達に支えられてるんだ!
おたく、マニア、変人、「楽しみ」を追求する普通の人達。
ばっかじゃないの?と思わせるような過激な将来の予言をしたり、
今のギョーカイでの動きを上手くスナップショットで撮ったような
発言をしたり。
いやいや、「ピンポン」に引き続き、大いに考えさせられます。
これは昨年のワークプレイスコンサルティングの楽しさに
浮かれていた自分自身に対して頭を冷やして考えるための、
本物を追求するための最高の贈り物。
ゼロックスだ、ホンダだ、豊田だ、東芝だ、日立だなんて
大手企業の名前を並べないと仕事の話にならない現場で
働いている現状をどう考えるかだな。
何しろ私の個人的な目標は「自分に与えられた人生を
フルに生きながら人の役にたつ」ということなのだから、
大企業の社員達だけを相手にするというのが変だ。
バイリンガル(英和)、バイカルチャー(US-日本)で、
崩壊家庭出身、波乱万丈人生指数度5(0がいわゆる
平均的な子供時代、10がMaya Angelou)位で、
普通の幸せな家庭と仕事を持ちたいと願っている
若い人がいたら、役にたてると思うんだけど。
あれ、渡辺浩弐の「「ひらきこもり」のすすめ」の話だったような・・・。
何が刺激的だったのか:
「 十年前に一日十時間働いていた人は、今は一日一時間で
よくなってるはずである。ところはそうはなっていない。
なぜ、いつまでたってもさぼれないのか。僕らが手にする
はずだった安息や幸福は、どこに消えてしまったのか。
本当は、少し前にもう、世の中の百人に一人くらいしか
働かなくていいようになっていたのではないかと僕は思う。
どこかで僕らは間違った道に入ってしまった。そして
無理やり仕事を作って無理やり働く、無限のサイクルに
入ってしまったんじゃないか。」
安息や幸福以外については、う〜ん、そうかも・・・と
思いました。安息や幸福は、その人の気持ち次第だと
思うから、それは一がいには言えないと思う。
この文章について早速今日身近な人と話したら、
どうやら2,3年前に、アメリカ人で同じようなことを言って、
結構騒がれたらしい。(誰だったかご存知の方、教えて下さい!)
「 ネットはさらなる発展を遂げていく。生涯たった一回でも、
自分だけの表現ができればそれで食べていける時代がくるだろう。」
このコンセプト結構面白い!いけるかも?
「秋元: 説明できても、あるいは別の人が聞いておなじことを
やっても、たぶんダメですよね。本当にやりたいことって、
説明できないもの。その瞬間のノリみたいなものが大事だと
思います。やってるときは本当に何も考えてないですよ。
渡辺: 一番ノってるときって、自分がやってることの意味を
考える余裕なんてないよね。
秋元: そうそう。余裕ができちゃうとダメ。考える事によって
広がっちゃうのはよくない。考えないことによって、いらない
ものが削れていくんです。どんどん細く削って、とがらせて、
針みたいになったとき、最終的に何が大事なのかってことが
自分でわかったりする。」
そうそうそうそう!
「つぐみ: インターネットていうのは、プールの中の水にあたる
部分なんです。流れとして変わらなければならないときに、
声高に叫んだり無理に行動したりするんじゃなくて、何か思っている
人がそれぞれ自分の思っている方向へなんとなく歩き始めると、
それが集まってゆるやかな流れができて、すべての問題が
すこしずつゆっくりと動いていくんじゃないかな、って。」
いいこというじゃないですか!!
複雑系の原型ですね。
で私の最終的な意見としては、やっぱ世の中広くて、
歴史的には、業界の人間が思っている将来が来た
ためしが無い。忘れやすいんだよね、自分に似た
人種以外の存在を。
Third worldでもネットやってる人達はいるけど、
世の中まだ繋がってなくてお腹すかしてる人の方が多い。
人口問題、環境問題は今の時点では無視できているけれど、
もう長くはない。これらの問題が無いとすれば、渡辺さんは
正しいかもね。
じゃあどうする?先進国のリアリティの中。グローバルな
リアリティの中。
「本当にやりたいことって、説明できないもの」か。
今やってるのかも。いや、やり始めているのかも。
・・・そして私は明日早起きできるんだろうか?