最近ワークスタイル・ワークプレイス調査で、いくつかの難しい設問をしました。そこで、
そこにいる、(presence)とは、どういうことを意味しているのでしょうか?
(会議でメールをしている人は、どこがPresenceなのか?テレビ会議は?)
という質問をしたのですが、この設問の回答の一つは次のようなものでした:
そこにいるとは、存在意義を果している場合の存在感だと思います。
会議に出席していても何の役にも立たなければそこにはいないと思います。会議でメールをしている人はそれが役にたっているなら会議の場所に存在していますがくだらないメールをしていたらどこにも存在していないと思います。
はっきりとした存在感だなぁ、と思っていたのですが、ふとこのOscar Hammerstineの曲を思いました:
A bell’s not a bell ’til you ring it. A song’s not a song ’til you sing it. Love in your heart wasn’t put there to stay, love isn’t love ’til you give it away.
鉦は鳴らすまで鉦じゃない。歌は歌うまで歌じゃない。心の中にある愛はそこだけのものじゃない。愛は与えるまで愛じゃない。
私たちは、誰かのためにならなければ存在しないのかもしれないですね。マズロウの人の欲求段階では、人の求めているものは最終的には自己満足ですが、結局だれかのために何かをしなければ、人は存在しなかったも同様だということなのでしょうか。仕事、仕事と言いながら、ただ自己満足になっていないかと自分に問う機会を頂きました。