仕事で効率と効果の話をする機会が多い。働くに辺り、両方とも大切だが効果が無ければ効率なんて何の意味もない。
心を静めて。心を静めて。
じっとあるがままに周りを見ると何が見えてくるのか。
お恥ずかしい話だが、意識的に心を静めて、何が見えてくるのかじっと待つなんて、もう何年もやっていないかもしれない。
思い出のように遠い記憶の中で、確かに以前はそんな事を当たり前にやっていたような気がする。何故変わってしまったのだろう?
仕事の内容が深く理解できてくることによって、いらない知識や関係もとっておいたら、心の中の場所もそれにとられていた。3人の子供、夫、姑との喜怒哀楽の悲劇・喜劇の日々で、じっとする時間が子供がいない頃に比べて圧倒的に少なくなった。ネットでいくらでも大好きな本も音楽も購入できる素晴らしい時代になったからといって、子供がゲーム中毒になるように、本中毒になっていた。素敵な人達に出会い刺激を受けて、もっと出会いを求めるようになってしまった。
面白いことに、その中毒になっている本と、出会った人達から、自分も、周りも全て心を静めて見なくては、と教えてもらった。同時に、どんなに素晴らしい本も、どんなに素晴らしい人も、自分の器が小さければ、そのサイズでしか理解できない。
ちょっとだけ見る、聞く、感じることだけに集中しただけで、ずいぶん自分のことが分かったような気がする。すいぶん身の回りにことが分かったような気がする。どうやらしばらくの間、効果なしの効率の路線で来たような気がする。
参考まで:wyukiさんのBlog、Joseph Campbell, 五輪書、友人、同僚達