今日も年齢とクリエイティビティについての話が出た。以前、Isaoさんとblog上で「人が枯れる」事についてちょっと会話をしたことを思い出した
人は年をとるにつれて、クリエイティブでなくなっていく。その手の話はよくある。アインシュタインも、ニュートンも、ある年齢から亡くなるまで何十年も新しい発見はしていなかったらしい。私が面識のある世界的に有名なデザイナーも、周りに気を使わせる事で有名になっていて、ハッとする新しいデザインはしばらく出していない。私も気がついたら、怠けていた。今までの実績で、大したことをしなくても、会社にぶらさがっていることができる。私は会社にぶらさがっていた!
1年以上前から、空回りしていて、必死だったけれども、どこがどうできていなくて成果が出せないのか分からないでいた。その内、ジタバタしても上手くいかないから、周りに最近出した成果を伝えて、情報共用しようという考えで、コミュニケーションに時間をかけた。そして、気がついたら、怠けていて、コミュニケーションだけに時間をかけ、肝心なプロジェクトが入ってきても、魂が入っていなかったような気がする。
ぞっとした。これが年をとるということなんだろうか!過去の実績とそれに基づいた周りの私に対する評価にぶらさがっていた。今新しいチャンスが沢山ある。もう一度新しい発見のために火をともした。本気で仕事に挑もう。
幼いころは、怖いものが沢山あった。でも、不思議な発見は簡単にできて、わくわくすることが沢山あった。何年も過ごしているうちに、怖いものはずいぶん少なくなった。それと同時に不思議な発見は積み重ねた努力の果てのみにできるものとなって、子供の頃のようなわくわくする気持ちは、一生懸命に働き、学び、自分を磨いてのみ経験できるものとなった。
圧倒的に多くの人達が年をとるにつれて枯れていく。それは、一生懸命をしなくなると起こることなのだろうか?少なくとも私の場合、毎回前よりももっと一生懸命努力をしなければ、次の不思議な感動が訪れなくなってきている。生き続けて、なお社会に貢献するためには、ひたすら稽古を続けるしかないんだ、と改めて体得したと思う。Masteryでも、The Winner Withinでも語られていて、あれだけ何度も読み返していたのに、身近な経験をするまでは、本当にレッスンを学べなかった。
これが、組織の経営軍の大きな壁なのではないでしょうか?きっと沢山の人達が過去の実績でお給料をもらっていて、ビジネスでの稽古をやめてしまい、努力もしなくなっている人達も沢山いるのではないでしょうか?そして、私たちの誰もそうはならないという保障は全くないのでは?
こんにちわSudaさん。他愛も無いエントリーですが引用していただいてうれしいです。
一般論ではなく自分のことを言うと、「発見」をするだけの心の余裕を持とう、と理屈をつけて手を抜くと、かえって何も学べていない気がします。仕事でも私生活でも。エネルギーの消耗度合いをあまり考えずに気合を入れて何かやると、その場はすごく疲れて何も考えられなくなるようで、後から振り返ると自分の中に蓄積された「知恵」(知識ではなく)が増えている実感が出ます。そういうときはじめて、同じことを繰り返すだけでなくもっと充実したい、という欲求が出ます。これがあるうちは大丈夫でしょうか。ただし年齢を重ねるにつれ、1.どれだけ疲れるかを知っている2.こなすだけなら方法を知っている3.知り尽くした実感を持ってしまう4.何故やれないかという理由も知っているつもり の条件が重なって、しかもそれらが強化されつつあることも感じています。
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Isaoさん、コメント有難うございます。火の燃え具合と同じなんでしょうかね。ぼわぁっと燃えあがった火は美しいけれど、料理できないし、その周りで温まるといっても危なっかしいし。しっかりと熱を持った赤い炭とかが一番「使える」状態なんでしょうか。Isaoさんのおっしゃるパターンの1,2,3,4が私の中で強化されつつあります。そういう時は、sabbaticalを取る時期かもしれない。
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