ソーシャル・ネットワーク・システムのミクシィの中で色々な社会現象が起こっていて非常に興味深いと思っています。私自身ミクシィのおかげで仕事とプライバシーのバランスが10年前の企業の中で毎日オフィスで働いていた頃に近くなってきたような気がしています。バーチャル社会がずいぶんと進化したんですよね。
そのミクシィの中で私が書いた日記のエントリーに対してのコメントに刺激され、そのコメントに対するお返事をここでシェアしようと思いました:
何だかまた真面目に考えすぎたエントリーになっちゃっうのですが・・・。
プロジェクト工房設立一周年記念日でこれといって何もしなかった事に関して -
>1周年を記念のことを何もなさらないふじこさんと、
ははは!私の場合会社といっても正式な社員は私だけで、仕事は全てプロジェクトにあわせてチームを組んでやるので、1周年といっても私の振り返りがあればそれが記念になるのかもしれません。
今後のテーマはいかに「奉仕」していくか、という事に関して -
>先日始めてお会いしてどんな奉仕で収入なのかが気に少し気になりました。
私の現在の収入は、大企業向けオフィス・デザイン戦略コンサルティング(業界ではワークプレイス・コンサルティングで知られています)、通訳、商品研究・開発の研究、コーディネーションから来ています。
私の「奉仕」は、レンガ職人のストーリーに一番近いと思います。教会を建てる作業で、せっせとレンガを積み上げている3人の職人に何をしているのか聞いてみました。一人目は、「そりゃレンガを積み上げているのさ。見ればわかるだろ?」と答え、二人目に聞くと「家族を養う仕事をしているんだ」と答え、三人目は「神を讃える場所を作っているのです」と答えた、というストーリーです。私は、受ける仕事は何であろうと三人目のレンガ職人のように、大きな、人に希望を与えることを最大の目的がある仕事をすることが「奉仕」だと思っています。
人は親、先祖や、育つ環境は選べません。生まれながらの性格や体型も授かったものです。皆と同じ「成功」、「奉仕」を求めるのではなく、私らしさ、私が授かった独特の経験を活かし「奉仕」することが一番の貢献になると思うのです。満足のいく奉仕に対する収入というのも人によって違いますよね。私自身に関しては、8歳での親子心中未遂、25歳での大事故、26歳での子供の死、34歳でのサリン事件、17歳と37歳での大病など、何度も死と向かいあう経験をさせて頂いたことで、死がいつ訪れるのが分からないのであれば、どうせ浪費してしまう収入よりも、「奉仕」の方が大切になった、といったところですね。
ただ、今は職人的に「奉仕」していますが、近い将来は、もっと直接的に「奉仕」したいと思うようになりました。私が過去に体験してきたことを今直面している人たちに少しでも希望を持ってもらえる仕事があると思うのです。簡単にいうと、働きながら子育てしているお母さんたち、マルチ文化に戸惑っている人たち、家庭での問題で苦しんでいる子どもたち、死に直面している人たちに対して何かできれば、という事です。特に特別な問題や痛みが分かる人、それを乗り越えてきた人は多くはないからこそ、力になれるのではないかと思っています。