10月4日のHow Versus Whatのエントリーでも、モノをつくるという過程においての創ることと製造することのギャップについてコメントしたが、今日も再度それについて考える日となった。ヨーナス・リッデルストラレや、トム・ピーターズを読んでいると、知識に価値があるということはもっともだと思うし、スピード感にあふれ快適だ。でも、この人達は、やはり”あるべき”論から展開していて、私としては、モノ無しの知識に価値があるかというと、不信感を持ち始めている。
確かにソフトウェア創りなどは、比較的にスピーディに行えるかもしれない。でも、ソフトウェアも結局は頼りになるハードウェア無しでは使い物にならない。ソフトウェアの生産技術とハードウェアの生産技術は全く異なる。ハードウェア、例えばパソコン一台つくるにしても、知識だけでなはく、実に多くのモノ、資源を必要とする。本体のためのプラスティック樹脂の安定した品質と価格は、石油の供給をはじめ、あらゆるファクターに左右される。石油を掘り続けるには、自然をどこまでコントロールできるのか。石油を掘る場所に関しては、多民族の文化の調節も関係してくる。
私たちは、ビジネスの面白い、カッコいい部分に集中して、地道だけれども、それなしではできないビジネスの要素については忘れがちだと思う。今日大型商品の製造工場の見学をした際、ソフトウェア会社の方々の反応を見て、更にその思いが強くなった。うわ!これがモノつくりニッポンなんだ!素晴らしい!こんなの見ると、自分達のやってることってホントなんてことないんだと思う、という反応。
本当に価値のあるモノが生産され続けるには、この手間隙コストのかかる製造というシステムを理解し、いかに製造するイノベーティブな商品を開発する側と、製造のためにシステムを作る側が共創できるかを考えぬかなければ、総合的なビジネスは語れないのだと思った。
ご無沙汰してます。Dragonfly’s BlogのSoです。
僕ももの無しの知識の価値のあやふやさを思うことはよくあります。もう少しわかりやすいレイヤーでキャリアを積みたいと考える今日この頃です。
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Soさん、お久しぶりです!コメント有難うございました。10月2日からずーっとDragon Flyがアップデートされていなかったので、そうとう忙しいんだろうなぁ、体調でも崩されていなければいいけれど、と思っていました。
私はどうもスマートなコンサルタントにはなりきれないようです。モノ創りでも、モノ生産でも、本当にそれが起こる瞬間って、言葉では表現できないぐらい人間くさくて、そうありながら宇宙の法則に一番近づける瞬間のような気がします。その瞬間が起こる前の、混沌の中での人のぶつかりあい、いつもどこかで危ういことが起こりそうになっている場面を多々見てきました。そしてその一部に参加していることがたまらなく好きです。だから今までコンサルティングのようなサービス会社でなく、メーカーに属してきたのだと改めて思いました。
工場が好きです。今の商品研究開発は、モノを使う現場と、製造する現場が距離的に凄く離れていることが多いのが壁になっているような気がします。両方体感していないと、良いモノは創れないですよね。
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