幾つか仕事が重なっていて、精神的に張り詰めていた。キャロラインとマギーと仕事をするのは初めてだけれど、最初から3人でウマがあい、刺激しあいながら密に3日間過ごした後、4日目に「インスピレーション」の素となるから、ということでICCに行った。
古橋悌二氏の「Lovers」を体験して、その幽霊を見ているような感覚のビジュアル効果と人の存在自体の境界線に対しての疑問や、全ての肩書きが人から外れた本当の裸の状態になった時、人は全てLoversである、というキュレーターからの説明を聞いて、人の悲しく、美しい存在が心の深い部分を動かした。その後、体験した佐藤慶次郎氏の「Electronic Raga」は、「二つの端子に直接手が触れることで音が発生し,その接触面積に対応して音が変化する作品.楽器などの演奏技術を持たない人でも,インドのラーガと呼ばれる旋法と似た音と自由に戯れることができる.人間の体を微弱な電気が通るように,複数の人が手を繋ぐなど,体の一部を接触させることでも音を生みだすことができる。」という作品だった。4人で騒ぎながら遊んでいて、2人がお互いに触れずに同時に二つの端子に手を触れていると音が出ない所を経験した後、二人で、次に四人で手を繋いで端の二人が端子に手を触れると音が出た時の驚きと楽しさは、説明だけで聞くこととは全く別の体験だった。(傍から見ていた人たちには、2人の美人ブロンドと、一人の若い日本人男性と、一人の中年日本人女性が手を繋いで騒いでいるのを見てさぞ不思議な光景に見えたと思う。)そこで感じた感覚は、その場では言葉として出てこなかったけれど、後から思った。「Lovers」のように、人は深い存在の捕らえ方がある。「Electronic Raga」のように、人はフィジカルに繋がることによってできることがある。
展示を見た後で、話をしている時、私が「インタラクティブ・アートを体験した後って、何だろう、こう頭がすっきりした感覚が得られるよね」と言うと、キャロラインがすぐに、「教会に行った時みたいな感覚」と言った。
日本では、キリスト教感覚の「教会に行く」という感覚は分からない人が多いかもしれないが、全身全霊が清められた、すがすがしい、長い雨のあとの青空のような感覚だ。
仕事に押しつぶれされそうになる時だからこそ、こんなひらめきがあるのだと思う。同じ事をスピーディに効率的に行うことも大切だ。でも、ひらめき無しでは、本質を見失ってしまうのではないのだろうか。