ここ1ヶ月ほどあまりにも自分の直接受けているプロジェクト以外の情報を無視していたので危機感を感じた。そこで久しぶりにメルマガに目を通してみたら、早速面白い記事があった。私が日常クライアントと話す際散々使っている複雑系とビジネスの関連付けが、分かりやすく書いてあるから、これから使わせて頂きたいと思う:
なぜ「論理的」な人間が社内を説得できないのか:「複雑系」としての企業
(***NikkeiBP Events スキルアップメール 2004-07-01*** )
なぜ、会議において、
論理で割り切れない感覚に襲われるときがあるのかが理解できるでしょう。
論理で割り切れない感覚に襲われるときがあるのかが理解できるでしょう。
それは、「論理」の本質が「単純化」だからです。
そして、企業という極めて複雑な存在を、
単純な論理によって理解しようとするとき、
「大切な何か」が見失われてしまうからです。
前回に述べた、現場経験の豊かな熟練のマネジャーが、
論理では割り切れない感覚を抱く原因は、まさにここにあります。
そして、また、熟練のマネジャーが、
企業における問題を言葉では表せない感覚に襲われる原因も、
やはりここにあります。
なぜなら、言葉にすることは、
多くの場合、論理を述べることに他ならないからです。
【著者紹介】
田坂広志(たさかひろし)
多摩大学大学院教授、シンクタンク・ソフィアバンク代表
社会起業家フォーラム代表
ここで文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが紹介されていた。読んでみよう。
須田さん、こんにちは。ソウです。
渡部昇一著 レトリックの時代 に「説得は論理によって行われるのではなく、レトリックによって行われる」と書いてあったのを思い出しました。今引っ越したばかりで参照できないので一字一句同じではないですが、内容的にはそういう感じだったかと。結構昔に発行された本ですがいい本だと思います。今アマゾンで調べたらユーズドで280円。オススメです。
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ソウさん、コメント有難う!
人の実質をついた本って、いつ出されたものでも凄く良いですよね。渡部氏の本読んでみます。
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須田さんありがとう。ヒロです。
まさに最近悩んでいることを分かり易く取り上げてくれました。
コミュニケーションの基本は、複雑系である個人の考えを一度単純化、論理化して「言葉にして」同じテーブルの上でやり取りした後、また、受け取り側が自分の複雑系にストックする行為なのでしょう。
最近、このコミュニケーション能力が低下してきたのではという危惧がありますが、その問題点は、まず、複雑な自分の考えを分かりやすい適切な言葉に置き換える力が弱くなってきたこと。つぎに、一見、単純な言葉の奥に潜む本当の意味を受け取り側が良く理解できないこと。そして、決定的なことは「大切な何か」を伝えている「場」の共有による身体的なコミュニケーション、つまり、昔からよく言われた「目は口ほどにものを言い」など、実は言葉でいわれていない核心部分の理解がまるで出来ていないこと、ではないでしょうか?
ITやメールの多用で、「場」つまり野中郁次郎氏の言う「共有された文脈(関連する状況と出来事)」を読み取る力が落ちてきたのでしょう。
また、会議とは本来、言葉や論理情報のやり取りではなく、「場」を共有して、本質を伝えあう空間だったはずですが、今は、そういう意思統一の会議が少なくなりました。
どうしたらコミュニケーション能力を高められるか、もう少し考えてみます。
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Hiroさん、コメント有難うございます。私が考えるベストシナリオは、自分でやってみる、人や本等からの情報に基づいてやってみる、から始まり、これだ、という感覚を得られなければ、思考作法をしながら進めていく、というものです。ここで難しいのは、学者は正しい、本は正しい等の先入観で物事をやってみてだめな場合、そのやりかたを調節する、または全く違ったやりかたでやってみるようなフレキシビリティなのだと思います。どの時代も、素直さ、フレキシビリティさを持ち備えた人は少ないですよね。
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