そろそろ報道されるようになってきた過剰なセキュリティ問題

日経ビジネス企業・経営ウェブページで「過剰な個人情報保護が社会を分断する」という記事を読んだ。やっと過剰なセキュリティについて報道されはじめたな、と思いながら。

今や多くの大企業オフィスに入る際、空港での入国審査でも通っているような気になる。見かけで威嚇する軍服みたいな制服のガードマンがビルの入り口周辺で見張っている。どんなに受付で感じの良い方が対応してくれても、まずビルに入ると証明されるまで疑われている、という事だ。五感を生かしイノベーションを促進する、などと言っても、人間は敏感だから、入り口でこういった体験をしてから入った場所の中では、見張られているという感覚はそこを出るまで残る。近代的オフィスビルで働く人たちはこれが当たり前の世界になっていて、逆にこれがないとこの会社大丈夫なんだろうか、などと思うようになる。人を疑い、極力面倒くさいことには巻き込まれないようになっていく。

こういったファクターが社会に与える影響は人は一般的に気がついていなくても大きい。大学一年生の時読んだ心理学教科書にあったストーリーを思い出す。二人の大変仲の良い学生が心理学の実験に参加した。一人は囚人の役割になり、一人はその警備側の役割になった。参加者達はそれぞれの役割の服装をし、その役割を演技するように指示を受けた。結果として、仲の良かった二人は、その実験が終わってからもお互いの実験中の行動がそれぞれの本質を表したものだと思いこんでしまったという話だった。人は行動して心が変わっていく。相手を信頼したい、と思ったとき、信頼しているという態度を取る。もちろん数学の「囚人のジレンマ」的な要素はなくならないが、自分から態度を変えるのか、相手の態度が変わるまで待つのか。

オフィスでいうと、自分達からオープンな環境を創って人が集まってくるような場にするのか、という問題。無差別に全ての情報をオープンにするわけではない。オフィスに来てくれる8割の頼もしい協力者に対してどのような信頼の態度を示すのか。このような問題への対応が、大きな社会の動きを作っていく。

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